私達は広島の地で、創業した1987年より、「ペットじゃないんだ、家族なんだ。だから最後までちゃんとしてあげて欲しい。」という純粋な思いを胸に、今日まで数多くのご家族様と小さな天使達の旅立ちをサポートして参りました。
時代の流れと共に、人とペット達と関係性も変わり、その一方で様々なものが形式化される中、無償の愛を注ぎ続けてくれた彼らを最後まで家族同様に見送ってあげることが、とても大切なことだと思いながら、私達はこの仕事を続けてきました。
いつも私達だけを見て、共に生きてくれた彼らへ、飼い主として本当の意味で最後にしてあげられる事は、礼を尽くしたお別れだけなのです。 一生に一度のお別れを是非後悔の無いものにしていただきたい、私達は心からそう願います。
ここでは、私たちの仕事の出発点となった話を交えながら、私たちの思い・願いを伝えたいと思います。 多くの方に私たちの願いを知って頂き、家族との大切な日々を過ごしてくださいますよう、願っております☆ ・・・・・どうか皆様に、私たちの思いが伝わりますように・・・
私たちの願い・・・・
・・・それは『全てのペットにご供養を!』という今の非常識が常識になることです。
なぜなら、ペット達は生きている間中は、飼い主様のことだけを考えて生きています。
大袈裟かもしれませんが、飼い主様の一挙手一投足を体全体で感じようと、あなたの方だけをみて懸命に生きています。
その過程の中で、飼い主である我々は、安らぎや楽しい思い出を数えきれないほど、もらいます。
また、私たちが悲しい時には黙ってそばに寄り添ってくれ、楽しい時には共に喜び、時には飼い主の怒りの捨て場になっても、文句のひとつも言わぬペット達の最後を、まるで物としか考えられない飼い主様が、まだまだ世の中には沢山いらっしゃいます。
ありし日の愛犬「ゴエモン」 私は高校生の頃、大好きだった愛犬を犬嫌いの住民によって放置された毒ダンゴを食べたことによる『中毒死』という信じられない状況で亡くしました。 悔やんでも悔やみきれないそんな時、私の頭の中には、『飼い主のせめてもの恩返しとして、出来る限りのことはしてやりたい』という一念しかありませんでした。
しかしその当時、悲しいことに、広島には私の思いを満たす施設が無かったのです。 ただでさえ、自分の不注意で愛犬を無くしたことに、ふがいなさを感じていた時に、火葬場の職員から発せられた言葉は、私の傷ついた心を粉々に砕きました。 『犬が死んだんね。申込書に必要事項を書いて、そこに置いて帰りんさい』 ・・・・・・
ここでしかお別れが出来ない状況の前では、これが精一杯の恩返しだと自分自身に言い聞かせるしかありませんでした。何度も何度も供養塔の前で、『ごめんよ・ごめんよ』と頭を下げながら、私は思いました。
『世の中には、私の様にペットのことを考えている人がいらっしゃるはず・・・・このままでは、皆、傷つき帰っていくに違いない。いつか必ず自分の手で満足がいくお別れがお手伝いできる施設を作ろう!』
・・・それが、我社の起業の動機なのです。
『小さな御霊(みたま)たちが、安らかに眠れる場所の創出。飼い主様の心境を充分に汲み取り、後悔することのないお別れの提案。 ペット愛好家が全員で手を合わせてペット達に感謝の気持ちがあらわせる世の中作り・・・・・』
そんな思いを実現するために、少し遠方ではありますが、落ち着ける熊野という場所を選びました。 そして、動物好きのスタッフを集め、飼い主さまの立場にたったサービスを実践していきます。
私たちの夢である“全てのペットにご供養を!”が実現する日まで、私たちは走りつづけます!!!
1987年7月1日
広島ペット霊苑 代表 下田 広宣